まる。の生きていく日記

大切な人達と生きていく日記。

冬に悴む

朝日が1番綺麗に見える季節が来た

 

もちろんそんなのは主観でしかない。

朝日なんて地球が滅ばない限りきっと誰がいつ見ても変わらない「そこにあり続けるもの」なのだろう

 

私はこの季節が好きだ

具体的には、12月というものが好きなのだ。

 

テストが終わり、誕生日が来て、あっという間にクリスマスがきて、大晦日がくる

 

「空気の寒さ」とは裏腹に「人の暖かさ」を感じるのだ

 

 

 

 

 

さて、最近の私はというと

ストレッチやリングフィットはサボりつつも続けてはいる

寒いからね、仕方ないかなって

 

自分への甘さは人生における必要経費なのだ

なんて、甘えた言葉が口先まで出て

飲みこもうとするが

友人の甘さに

背中をトン、と押され

固く結んだ唇の端から溢れ出てしまう

 

 

12月といえば

「マーダーミステリー」

をはじめてから1年になるのだと実感する

 

マダミスは、私という思慮深く脳回路がマグロで考えすぎてしまう人間には相性が良いゲームなのでは無いかと常々感じる

 

「自分の生きる世界とは違う世界に入り込む」

「自分がそのキャラだったら、と考えながらそのキャラクターを演じる」

「疑ったり信用したりして物語が進む」

「複数のENDが存在する(シナリオによるが)」

 

「現実逃避」とはまた違うもので、一時的にでも鬱状態の思考回路から抜け出すことが出来る為、正直助かっている

 

誘ってくれた私の大切で大好きな友人に感謝せねばならないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

齢23を迎え、何か変化があるか、と聞かれると

単に「歳をとった」くらいのもので

 

……いや

きっと今は、生まれてきたことを心から喜んでくれる人がそばに居てくれているのだろう

 

 

 

 

 

彼や姉と話してて指摘され実感したことは

「他者が私という人間を優先する」

という選択肢が、私の脳内に無いという事だ

 

私を大切にしたいと考えてくれる人間にとっては、あまりにも当たり前の事なのに

彼らの立場になって考えれば直ぐに思いつくはずなのに

それが全く思いつかない場面が多々ある。

 

 

これはきっと「思考の癖」であり

「私は大丈夫だから、気にしないで」

という精神でほぼ23年間生きてきたからなのだろうと推測する

 

 

 

 

 

「大丈夫」

という言葉は

安心を与えるものではあるが、多用していいものでは無いのだろう

それらを多用する人間は

 

脳天気な人間

 

もしくは

 

人を信頼できない人間

 

自尊心が低い人間

 

なのだろうか。

 

 

 

 

 

 

冬の木漏れ日が机上の水筒を照らしている

どこか冷たく、それでいて温かさを感じるのは

もしかしたら私だけなのかもしれない。

 

 

 

寒さで指先が上手く使えず、

今これを打っている最中も

何度も誤字をしては入力し直している

 

草木は枯れつつあり

地の肥やしになる

 

そしてまた次の春が来たら、緑が見え始めるのだろう

 

つまりは

「冬」というものはある意味で

「土台作り」

といったものなのでは無いだろうか?

 

田舎だからなのか、季節的なものなのか分からないが

窓の外には人1人居ない

 

静かで侘しさを感じる音が聞こえてくるだけだ

 

 

そんな季節だからこそ

 

ぬくもりに触れたくなるからこそ

 

 

この季節がこんなにも愛おしいのだ。